
美々津の沖にある
美々津七ツバエという岩礁には小さな和式灯台と祠があり、港町美々津のシンボル的な存在でもある。
この街は耳川の河口にある港町で、かつては多くの廻船問屋が軒をならべ繁栄したと言う。江戸初期・元禄時代からと言いますから・・もう300年以上にもなるんですね。当時は高鍋藩秋月氏の所領で藩主の参勤交代時には、ここから御船出し、上方(関西地方)との交易も盛んであったらしい・・・きっと入郷地域・耳川流域の山の幸が、ここから送られて行ったのでしょうね。
一般に街並み保存というと観光地化が進み、人の暮らしの息吹というものが感じられない所が多いものですが、ここは違う。古の街並みが、今でも美々津の人々の暮らしの中で生き続けている。しばし街中散歩を楽しんだのですが・・観れば観るほどに・・歩けば歩くほどに・・魅力的な街に思えました。

左写真は旧美々津郵便局、今は個人宅で、大正・昭和初期の面影が残る。赤い円筒形のポストが懐かしい。右写真は、美々津の上町通り。美々津の町は、大きく上町・中町・下町とわかれ、この上町通りは旧豊後街道の道筋にあたり、町家が軒を並べている。


これらの家々が展示物ではなく、今も人が住む民家であることに驚き、このような町家に住めることが羨ましくもある。
京都の町家と似た風情を感じるのだが・・・やはり上方との交易が盛んだった影響なのだろうか?ちなみに上段右写真は電気屋さんです。また上町通りの港側あたりに「
雑貨&カフェ民」がありレトロな時間を過ごせるかもしれません。

中町通りには、
大壁造りの商家が軒を並べ石畳が敷かれた通りで、商人町だったと言う。右写真は今も営業する旅籠・・旅館?割烹?の「
ときわ」さんです。

左写真は街中にある井戸、ちょっと昔までは・・近所の主婦たちの井戸端会議する風景がよく見られたもので、地域の社交場のような場所だったんですね。
右写真は道標で、宮崎まで拾参里参拾町・・・、大分縣堺まで拾五里参拾四町・・・と書いてあるのだろうか?長年の風化で、はっきりとは読めませんでした。ちなみに・・今風に言えば宮崎まで50数Km?大分県境まで60数Km?といったところか・・・


上段は、
立磐神社 (たていわ神社)と
日本海軍発祥の碑(
平和の塔と同じ日名子実三氏による設計)。下段の左は対岸から見た美々津全景・・・いらかの波が眩しかった。
所在地:宮崎県日向市美々津町
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|2008/04/15 |宮崎県北|
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日向に住んでいながら、美々津の伝建地区は通り過ぎることはあっても
歩いて散策は1回しかないです^^;
ここにも道標があったんですね。
次はどこにあるのでしょうか、延岡かな?
2008/04/16 21:30|URL | mako
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makoさま!こんばんはー
ここのところ、道標探しがテーマみたいになっているところが・・・(^-^; 歴史を写真でつづるっていうのは楽しいものですね。知らないことばかりで、発見した時はなんてうれしいことか。
もう少し若い頃にこんな楽しさを知っていたなら、きっと歴史学者か考古学者になっていたかも・・なんて(笑)今からでも遅くないか・・・めざせ!道標評論家?2008/04/16 22:21|URL | 楽閑人
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